国語史資料の連関

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2011-12-18

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 其の他、農・買の俗事に事しげき、珠には武家の、仕官吏職にもあずかりぬべき人の子どもには、やはりありふれたる假名の「伊呂波」を教ゆべし。それに次ぎては、假名まじりの手本より、日用に便りある書札・手紙文言を、世にいふ和樣をよく書く人に手本を求めて習はすべし。これは世上同一の事なれば、委しく云ふに及ばず。但しこれも素讀の師を選むと同じ理にて、「伊呂波」の手本よりして、よき手を習はすべし。「手ほどきなれば、何れにても苦しからず」といふは惡しし。世にいふ和樣にも、さま/゛\あり。何れにも、字形つづまやかなる手跡を、習はすべし。農・買の子どもは、世にいふ寺子屋へ遣はすこと、勿論なり。士族の子は、然るべからず。其の故は、京都に寺子量、最も多し。いかにもよき手跡もあれども、とかく書札・手紙書き方、つづまやかならず。文言も、今日武家通用の式にあらず。故に京都には、書札・手紙の代書を打ち任せてたのむべき人すくなし。田舍の城下などには、市中にも書札を、よくしたたむる人反りて多きは、三都の如く寺子屋多からずして、藩中の士人、祐筆など稱する人に手本を乞ひて習ふ故なり。

 さて前に云ふ如く、和樣のつづまやかなる手跡をよく習ひて書禮など達者に出來るといふになれば、日用俗事の通用はさしつかゆる事なし。其の上は、和樣の中にも書流さま/゛\あれば、人々其の好みに應じて、いかなる流をも習ふべし。

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