2011-02-25 2011-02-25 ■ [国語問題]速記術ではなく日本の国語が不完全(三宅正太郎) わたしは、東京地方裁判所の所長をしてゐたとき、裁判所の書記に速記をならはせようとかんがへた。(中略)日本の速記術は、それを完全に自分のものにするまでに、少くとも五六年のケイコがいるのださうである。ヨーロッパでは、いやしくもタイピストである以上、速記をしってゐるのがあたりまへとなってゐるくらゐだから、おそらく、その速記術は一二年もケイコすれば一人まへになれるのだとおもはれる。(中略)速記の専門家にきいてみると、日本の速記のならひにくいのは、速記の術がめんだうなためではなく、そのもとは、日本の国語が不完全であるためださうである。 三宅正太郎『嘘の行方』1938 「速記と国語」pp.225-226 ツイートする