国語史資料の連関

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2008-07-02

吃りにはカ行タ行とは一番禁物(薄田泣菫「茶話」大正8・4・12(夕)) 吃りにはカ行とタ行とは一番禁物(薄田泣菫「茶話」大正8・4・12(夕)) - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 吃りにはカ行とタ行とは一番禁物(薄田泣菫「茶話」大正8・4・12(夕)) - 国語史資料の連関 吃りにはカ行とタ行とは一番禁物(薄田泣菫「茶話」大正8・4・12(夕)) - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

大杉栄氏五百円を儲く

 こなひだ大杉栄氏が田端の家をまる焼《やけ》にされて、家主から受取る筈の百円をふいにしてしまつた事を書いたが、暫くすると大杉氏から正誤書が入つて来た。

 大杉氏は言ふ、あの茶話に、今の大杉に香奠で無くて、百円と纏《まとま》つた金が入つて来るわけがないとあつたが、あれは可哀《かあい》さうだ。何故といつて、いつかも後藤新平|男《だん》が内務大臣をしてゐた頃、自分は借金に困つてゐるからといつて、三百円ばかり大臣の手から貰つた事がある位だからと。

 実はその折、大杉氏の方では五百円と切り出したかつたし、後藤男の方ではさう切り出されたからといつて、別に出し惜みをするわけでもなかつたらしいが、大杉氏はその「五」といふ数《すう》が、どうしても口に出せない、幾度か金魚のやうに口もとをもぐ/\させた後《のち》「三」と言つてしまつたので、二百円貰ひそくなつたのださうだ。言ひ忘れたが、大杉氏は名代の吃《ども》りで、自分でも、

 「御承知でもありませうが、吃りには加《か》行と多《た》行とは一番禁物なんですから。」

と言ひわけをしてゐる。だが、それにしても一口で二百円損をするなんて、大杉氏にも似合はない話で、加行と多行とが吃りに禁物なら、いつそ七百円か八百円と切り出してもよかつた筈なのだ。

 田端の家《うち》が焼けると、大杉氏は、

 「まる焼けだ、まる焼けだ。」

と友達ぢゆうを触れまはつたので、方々から見舞金がざつと五百円ばかし集まつた。大杉氏はそれで飛鳥山に近い高台に、家賃三十五円の家を借りて住む事にした。そして原稿稼ぎをする文士仲間でこれだけの家賃を払つてゐるのは、与謝野寛《よさの 》君と自分とだけだと言つて自慢してゐる。だが、大杉氏自身の言葉によると、まる焼だといふのは実は少し言ひ過ぎで、火事にあつた時には、着物や、書物や、目ぼしい物はみんな質屋の倉に預けてあつたのださうな。

 借りた三十五円の家は焼けた九円の家に比ぺると、大分《だいぶん》住み心地がいゝといふ事だ、そして、それ以上に心持のいゝのは家賃が当分きちんきちんと払つて往《ゆ》ける事で、家賃を払ふといふ事が、こんなに善《よ》い気持のするものなら、今後は成るべく家賃だけは払ふやうに心掛けたいと大杉氏は言つてゐる。いゝ心掛けで人間といふものは、頭のなかではいろんな善い事を考へるものだが、軒が低かつたり、台所が暗かつたりすると、とかく……。