国語史資料の連関

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2008-04-06

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明治元年七月の詔書に「自今江戸を称して東京とせん」とあるは。江戸を東の京とす、ということだけで「江戸の称を廃して東京と改む」の義にはありず。しかるに、江戸の称を廃して東京というは間違いなりとの論が、明治八年の『洋々社談』を始め、明治十七年年一月の『東京絵入新聞』にも出、また明治二十三年の『江戸会誌』にその評論も出ているが、要は屁理屈説で、江戸を東の京とするというだけでなく、改称の義であることは、その詔書を取り扱った政府が「東京」と称しているのだから、改称と見るのが至当である。

さて江戸東京と改称したので、昔の京(山城《やましろ》の平安城)を西の京として「西京」と脅していたが、その西京といい東京という字を、明治十四、五年頃までは、西京の京は「京」であったが、東京の京は「亰」の字に書いていた。明治五年に発行した『東京日日新聞』などは、今に福地源一郎(桜痴)が書いた題号のまま、京の字の中に一を入れた字である(東京朝日新聞もそのマネ)。これは支那[中国」でも書く字であるが、日本でそれを区別して書いたのは、東京には「一」とする御方(天皇陛下)があらせられるからだとの俗説があった。

宮武外骨『明治奇聞』