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幸田露伴「辞書」(『讕言』「話苑」)

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吾が邦に元來辭書少し。近き頃やゝ體裁を具へたるものも出でぬにはあらざれど要するに「書物より造りし書物」に過ぎず。源氏狹衣の中の死語を索めなば直ちに得んも、日常用ゐ居れる語は或は洩れたり。例へば乘合の京の奴、かきたつより顏さし出し、と近松の書きたる其のかきたつとは如何なる義か、飛騨の匠が細工は貫孔《ぬきあな》内〓《うちふくら》に致す故堅固と徂徠の書ぎたる此の内〓とは如何なる義ぞ、と言海などに就きて其語を索むるに、其語の影だにあること無し。もとより普通辭書にして專門語辭書ならねば、此の類の事をもて責むべくもあらねど、卒然として今の謂はゆる辭書に臨む時は、如何に著者等が古文學乃至本草學等に忠實なるに比しては、如何に工業農業等に對して冷淡不信實なることよと感ぜざるを得ず。これ全く辭書の作者の罪にはあらず、古來の風潮のこれをして然らしめしのみにはあれど、如何にも囗惜しきことにはあらずや。今の辭書を以て日本を觀んには、恰も日本には工業商業農業等は殆ど無かりしものと云ふを得べきなり。高尚なる學術專門の語の如きは普通辭書には入るべきものならぬこと固よりなれど文學的死語などの多からん比例に農工等の科の語の今少し採集されんことを今後の辭書に望むは固より不當にあらずといふべし。

辭書は辭より成すべし」、書より作り出すべからず。特に日本にて所謂書なるものは甚だ狹き範圍より産出せられたれば、書籍より作り出さるゝ辭書は恐らくは一部分に精にして一部分に疎なる不權衡のものたるべし。 

幸田露伴『讕言』

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