2006-01-23
■ [学史]石川雅望「ねざめのすさび」○かなづかひ
かなづかひは古書によるべきことなりといへるはさも有べし。されど強ていまとたがはんとせるこゝろより、なか/\にかたくなゝる説をもいふめり。かほると云かなをかをるとかきて、万葉集に香乎礼流、また字鏡に加乎留とあれば、それを拠所とすといへり。されど賀茂なにがしが説に、古本催馬楽歌(東遊カ)に加保留とあるによるべし。万葉集第二に香乎礼流とある乎は本の誤なりといへり。この説ことわりあり。げに乎と本と字も相似かよひたり。保は乎と混ずべき字にはあらず。あながちにいまのかなをためむとするよりさいふべけれども、古書に両様に云てあらむには、いまのかなのかたにしたがふかたおだやかなるべし。をこたりをごりなどいへる詞も、はじめを《しのヲ》に書来たれるを、古言梯といへるものに、奢は大ほこりの意なるべしとて、おごりと書、怠は行廃《オコナヒスタリ》ならむとておこたりと書改しなど、すべて暗推の説にてよりがたし。古書に証あらむにはよかるべし。証拠もなきを、にはかに臆説をもて訓義をつけいはんとせば、いかさまにもいはるべきことなるをや。