国語史資料の連関

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2003-03-22

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 明治になりて、わが国語文章との間に、大溝渠あるを不便とし、両者を相近づかしめんと論著せしは、実に明六社諸同人に始まる。ローマ字仮名字?のことは、別項これを述べたれども、なほ、当時の世論一斑を抄出せん。

「……然ルニ今其所謂我ノ文章ナル者、言フ所書スル所其法ヲ異ニシテ、言フベキハ書スベカラズ、書スベキハ言フベカラズ、是亦文章中ノ愚ナル者ニシテ、文章中ノ一大艱険ナリ、蓋世ノ人既ニ爰ニ見ルアリ、故ニ今日之ヲ改正セントスルノ挙亦ナキニアラズ、曰ク漢字ノ数ヲ減ジ其数ヲ定ム、曰ク和字ノミヲ用ヒ和字書?ヲ製シ和文?ヲ作ルト、其他異論アリト雖、是近日翹楚ナリ……」(明六雑誌一号、西周説)

維新ノ際、論者文字ヲ改メテ、通用ニ便セント欲シ、或平仮名ヲ用ヒント云ヒ、或片仮名ヲ用ヒント云ヒ、或洋字ニ改メント云ヒ、或新字ヲ作ラント云ヒ、又邦語?ヲ廃シテ英語ニ改メント云フ者アリ、又従前ノ如ク和漢雑用?ニ従ハント云フ者アリ……」(明六雑誌第七号、清水卯三郎説)

 以上は、明治七年頃の所説なるが、国語問題の実際は、今日なほこれを繰り返すに過ぎざるなり。(別項「小学仮名つかひ」*および「清水卯三郎小伝」*参照)