国語史資料の連関

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2002-08-30

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ふと心おとりとかするものは、男も女もことば文字いやしう遣ひたるこそ、よろづのことよりまさりてわろけれ。ただ文字一つにあやしう、あてにもいやしうもなるは、いかなるにかあらん。さるは、かう思ふ人、ことに

すぐれてもあらじかし。いづれをよしあしと知るにかは。されど、人をば知らじ、ただ心地にさおぼゆるなり。

いやしきこともわろきことも、さと知りながらことさらにいひたるは、あしうもあらず。我がもてつけたるをつつみなくいひたるは、あさましきわざなり。

また、さもあるまじき老いたる人、男などの、わざとつくろひひなびたるはにくし。まさなきこともあやしきことも、大人なるはまのもなくいひたるを、わかき人はいみじうかたはらいたきことに聞き入りたるこそ、さるべきことなれ。

なに事をいひても、「そのことさせんとす」「いはんとす」「なにとせんとす」といふ、と文字をうしなひて、ただ「いはむずる」「里へいでんずる」などいへば、やがていとわろし。まいて文に書いてはいふべきにもあらず。物語などこそ、あしう書きなしつれば、いふかひなく、作り人さへいとほしけれ。「ひてつ車に」といひし人もありき。「もとむ」といふことを「みとむ」なんどは、みないふめり。


金田一春彦日本語は乱れているか」

永山勇国語意識史の研究』風間書房

塚原鉄雄清少納言言語意識」『国語と国文学』1964.10「中古語